ピノッキオの名付け親は [ピノッキオメンバーの思う事]
ピノッキオという私たち木工玩具制作ユニットのネーミングが決まった時の話です。
よし、木の玩具を制作して、世界一小さなオモチャメーカーを作ろう!と夢見て実行に移した僕達3人組は、最初はネーミングってなかったのです。開始を宣言したのが何年か前の3月で機械はすぐに仕入れ始めました。ネーミングが決まったのは5月の終わりだったかな?
最初の2か月は、とにかくみんなで木を削ったり磨いたり思い思いの事をして遊んでいました。楽しかったな~。
今思えば、最初から物凄いものを作っていたと思います。1日とか2日かかる作品を作っていました。最初といえば1時間程度で作れる作品から始めれば気持ち的にも楽なのでしょうが、イメージしているものがそういうものではなかったのです。
ピノッキオの中で競い合うように、もっと美しい仕上げを、もっともっと、と追及していると、なんだか作品に命を吹き込めるかのような錯覚をしてきたんです。
作品を我が子と思う気持ちが芽生えてきたり。
そんな制作活動をしている時、すみえさんが「私たちのこのユニット名はピノッキオがいい」と言い始めたのです。
木の人形に命を吹き込んだ、ゼペット爺さんの、あの物語。
もう、その瞬間に、みんなで決定しました。他には無い。そう僕も思いました。
その瞬間を、今でもフルカラーで思い出せます。昨日のような気もします。
そして、今では作品の数も増え、日々色々生み出していっておりますが、命を吹き込みたいんだという思いはより強くなっていっております。
あの最初の頃は、すみえさんがデザインした馬とヒヨコのオモチャ、それと、ゆりちゃんのデザインしたヒヨコを作り続けていました。同じものをひたすら繰り返して。何度も何度も。その度により洗練されていきました。
そういえば、不思議な事がありまして、超初期の作品を見ると、つい先日までは青臭いな~と思って眺めていましたが、最近見ると、なかなかGOODではと思えたのです。
ものは変わらないので心境の変化でしょうか。
とまあ、そんな感じでピノッキオという名前に決まり、名付け親は、すみえさんなのです。
すみえさんは、超ノンビリマイペースですが、打つ時は特大ホームランなんですね~。大事なところでは打ってくれます。
よし、木の玩具を制作して、世界一小さなオモチャメーカーを作ろう!と夢見て実行に移した僕達3人組は、最初はネーミングってなかったのです。開始を宣言したのが何年か前の3月で機械はすぐに仕入れ始めました。ネーミングが決まったのは5月の終わりだったかな?
最初の2か月は、とにかくみんなで木を削ったり磨いたり思い思いの事をして遊んでいました。楽しかったな~。
今思えば、最初から物凄いものを作っていたと思います。1日とか2日かかる作品を作っていました。最初といえば1時間程度で作れる作品から始めれば気持ち的にも楽なのでしょうが、イメージしているものがそういうものではなかったのです。
ピノッキオの中で競い合うように、もっと美しい仕上げを、もっともっと、と追及していると、なんだか作品に命を吹き込めるかのような錯覚をしてきたんです。
作品を我が子と思う気持ちが芽生えてきたり。
そんな制作活動をしている時、すみえさんが「私たちのこのユニット名はピノッキオがいい」と言い始めたのです。
木の人形に命を吹き込んだ、ゼペット爺さんの、あの物語。
もう、その瞬間に、みんなで決定しました。他には無い。そう僕も思いました。
その瞬間を、今でもフルカラーで思い出せます。昨日のような気もします。
そして、今では作品の数も増え、日々色々生み出していっておりますが、命を吹き込みたいんだという思いはより強くなっていっております。
あの最初の頃は、すみえさんがデザインした馬とヒヨコのオモチャ、それと、ゆりちゃんのデザインしたヒヨコを作り続けていました。同じものをひたすら繰り返して。何度も何度も。その度により洗練されていきました。
そういえば、不思議な事がありまして、超初期の作品を見ると、つい先日までは青臭いな~と思って眺めていましたが、最近見ると、なかなかGOODではと思えたのです。
ものは変わらないので心境の変化でしょうか。
とまあ、そんな感じでピノッキオという名前に決まり、名付け親は、すみえさんなのです。
すみえさんは、超ノンビリマイペースですが、打つ時は特大ホームランなんですね~。大事なところでは打ってくれます。
2013-09-22 00:45